日常からの抜け出し方|ヨガの智恵で考える

今回は、日々の生活から抜け出す方法についてお話ししましょう。ヨガの教えを通じて、何かを追い求める日常から解放され、本当の幸せを見つけるヒントを見つけてみませんか?

目次

1.ヨガの叡智から学ぶ「プルシャアルタ」

ヨガの古典的な教典である「ヴェーダ」によれば、私たちは皆、毎日を幸せになるために生きているとされています。様々なことをしている背後には、最終的には幸福を得るための欲求があると言われています。

この幸福を手に入れられなかった場合、来世に再生されるとも伝えられています。この考え方は「輪廻転生」の概念であり、私たちは幸福を見出すまで永遠に再生を繰り返し、この世に戻ってくるとされています。

そしてこの「幸福」こそがヨガのゴールである「モークシャ」です。モークシャを得ることで、幸福を理解し、輪廻転生のサイクルから解放されることができるとされています。

2.プルシャアルタという4つの欲求

「ヴェーダ」によれば、人々が求めるものを「プルシャアルタ」と呼びます。これはアルタ(富)、カーマ(快楽)、ダルマ(義務)、モークシャ(解放)の4つの要素に分かれます。しかし、私たちはしばしば「幸福」を誤解しています。

実際の「幸福」であるモークシャを見落とし、見かけの幸福を追求してしまうこともあるのです。この見かけの幸福が、プルシャアルタのうち「アルタ・カーマ」に該当します。

3.永遠に続かない幸せの罠

人々の成長段階や状況に応じて、プルシャアルタも変わっていきます。最初はアルタが求められます。アルタは基本的な生存の安定を保障してくれるものです。

明日の命を保証するために必要な衣食住を求めることも、アルタに含まれます。生存がままならない状況では、他のことを考える余裕はありません。最初は命の安全を確保することが大切です。

4.一瞬の喜びを追い求め、幸せを感じられない状態

安全が保障されてくると、次に自分を喜ばせてくれるものを求め始めます。これがカーマです。基本的な生活必需品を手に入れると、より良いもの、快適なもの、心地よい服装や住まいなど、自分が喜びを感じるものを求めるようになります。

これらが手に入ると一瞬の喜びを感じますが、これが「幸福」ではないことを理解する必要があります。永遠に続く幸せは何ものにも与えられず、物質的なものだけでは満たされません。この点を気付かないと、永遠にアルタ・カーマを追求し、一瞬の喜びを追い求め、次に喜びを感じる何かを求めるというサイクルに陥ってしまいます。

何かを追求することは、それが足りていない状態を示しています。つまり、幸福を追求することは今の幸福を否定していることと同じです。アルタ・カーマの追求は、幸せを感じられない状態を持続させてしまうことを意味します。

5.成長とともに訪れるダルマの喜び

成長するにつれてやってくるのが「ダルマの喜び」と言われています。自分の能力が他人のためになることや、自分も周囲も心地よさを感じることがダルマです。

周囲とは、目の前の人だけでなく、より広い視野で地球や宇宙全体も含まれます。自然の法則に従った行動を取ることによって喜びを感じることです。

アルタ・カーマのように自分だけの幸福ではなく、視野が広がるとダルマの喜びを感じることができます。最初は身近な人々に対して行動するかもしれませんが、ダルマの行動を重ねることで視野が広がり、宇宙の法則に合致する行動が喜びをもたらすことを理解できるようになるでしょう。

そして次第に本当の「幸福」の意味が分かるようになるのです。

6.追求からの自由、モークシャ

アルタ・カーマの段階では、幸せを外部に求めていました。しかしダルマを通じて、自分の価値観が成長し、手に入るものに幸せがないことに気付きます。幸せを求めることは、今の幸福を否定していること。そして永遠に自分を満たす幸せは外部のものでは得られないことに気付きます。

何かを追求する必要はなく、すでに自分は「幸せ」であるという理解がモークシャをもたらすと言われています。これこそが追求からの自由(解放)です。外部から幸せを求めることなく、自分自身が既に満たされており、「幸せ」であることを理解することです。

モークシャを実現すると、足りないものは何もないことに気付きます。全てが完全で、満たされているのです。この追求からの自由こそが、真の「幸せ」なのです。そしてこれがヨガのゴールであり、私たちが人生で探し求めているものなのです。

まとめ

ヨガのゴールを実現するためには、教典の学びが不可欠とされています。大げさなようにも思えるかもしれませんが、実際には私たちの日常生活にも適用できる教えがたくさんあります。

この記事を書いた人

目次